無題

 

 どうせ全て独断だ。

 

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「勉強すると、キモくなる」とオタクのキモさとは近似している。

 

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 詩の製作が抜きがたく「製作」一般の概念に結び付いているヨーロッパ人にとって、poiesisの語は日本語の「詩」「うた」とは遠く隔たって感じられざるをえないだろうし、そうやってみられる世界のありさまは印欧語以外の…クルアーンや旧約の世界とは異なっているだろう。言語ごとに個別の真理なるものがあり、フランス語で語られた真理を直輸入することができないなら、日本語の真理を明るみに出さなければならない。

 

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 あらゆる宗教は人間を疎外する害毒である。アブラハムの神を信仰することは端的な不合理だが、では仏教徒はどうか。ミャンマーにおいてムスリムを虐殺していることを考えれば、およそ信に基づく共同体が他を疎外することは不可避なもののように思われる。

       L`homme en tant que l`homme, c`est l`atom, l`individu. これ以上分割できない或物であり、他と繋がることのない単子が人間だ。

 人間は端的に人間であるのみであり、他と結びつくということはない。無意味で無価値な生、何か他のものに紐づけられることの決してなく、あらゆる資本を蕩尽するに値しない私egoが尚生きてあり、そしてそれをこそ真に自ら肯定する以外に道はないし、さもなくば、その外部に劇烈な暴力を撒き散らす無数の共同体が林立するにとどまるだろう。 

 

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 NO GENOCIDE NO JUDE?

 

 NO!

 と言いたい。言いたいが……

 そう遠くない未来、ホロコーストを経験したユダヤ人のすべてが、歴史の終わりまでのあいだしばらく眠り、起きているユダヤ人のすべてがイスラエル建国ののちに生まれてきた時代が来るとき、ユダヤ性の本質に「虐殺する存在者」であることが刻み込まれはしないか。

 ユダヤ民族主義国家イスラエルによる、パレスチナのアラブ人に対する緩やかな虐殺が百年に渡って続くとき、ユダヤ人をホロコーストの犠牲者として表象し続けることがついに不可能になったとき、百年に渡って行われた暴力のすべてが、六芒星を掲げて行われたショアーだ。